携帯電話の共存と依存

私がガラケーからスマホに切り替わるのが周辺からしたらとても切り替わりが遅かった。

今から五年ほど前だろうか、ezwebのサービスが終わるからスマホに切り換えてほしいみたいな旨の手紙がauから届いて、ようやく重い腰を上げた。

(単純にめちゃくちゃいろいろ割引券とか付けられててかなりお得になっていたのもある)

ちょうどガラケーTwitter見るのが限界にきていたところで、『今時LINEやってないの?』と旧石器時代の人間みたいな目でよく見られていた。

なぜ変えなかったのか、時代を逆流している自分がカッコいいとかそういうところに自己陶酔してるわけではない。

純粋にただただ面倒くさいだけである。

機種変更をなくなくしたけど、一番安い機種。使い方も最低限だけ聞いて持ち歩く。

お年寄りのおじいちゃん、おばあちゃんレベルの運用しかできない。

PCを使ってる分その快適さには敵うわけがない。だからスマホにそこまで魅力がないからそこまで重要視をしていない。

しかしスマートフォンというからには電話というツールとしても用いる必要がある。

その部分に関して非常に、非常に煩わしさがある。基本的に面倒でしかないという思いを持っている。社会人的には如何に。

職場の電話には真っ先に出る(気持ちではいる)が、自分の携帯の連絡は本当に出たくない。

確実にすぐには出ない。知らない番号は調べてからかけ直し、電話帳にある人ですら基本的には億劫になる。

LINEも大体通知オフ、とにかく最低限の人数でいい。ずっと続けているからそもそもそんなに来ないのが救い。

あまりに友人に連絡しないせいで、旧友にはレアキャラ呼ばわりされている。つぶやきシローみたいな人くらいがちょうどいい。

行方不明や死亡説も出たりする。よくそんなレアな人間にも関わらず、連絡した時には丁寧に返してくれる。

非常に良い友人達に巡り会えたのは嬉しい限り。

 


そもそも最低限よりも全くいらないと思ってしまうこともしばしばある。

いっそのこと矢文は無理があるから伝書鳩でも従えて手紙飛ばしてもらってやり取りしたほうが確実かもしれない。

スマホがない生活が考えられませんという話をよく耳にする。個人的には朝起きるためのアラーム付き腕時計さえあればいい。

しかし時刻表は知りたいし、知らない土地では地図で確認したい、PodCastも聴きたい。・・・もしかしてそこそこには必要かもしれないかと言われたら必要になる。

依存してないと思っても、それは思っていたよりも依存していた体になっていた。

あの時、撮りたかった瞬間もわざわざ一眼レフを持たずともスマホでいい。

けど、一眼は一眼で、すごくいいものが撮れた時の瞬間を切り取ったぞという快感がある。

そう考えると何かしらの物を持たなければ、どこか心の中では満足しなくなった部分がある。

まだ携帯電話自体を持たなかった学生時代の自分にはどこか持ちたい憧れがあった・・・わけでもなかった。

周りが持っているからあなたも持ちなさいと言われて、渡された。でも、なくても充実していた。なのに今では手持無沙汰。

ガラケースマホ持った時の衝撃の差がとんでもないほどある。充実してるなとは思う。けどどこかで何かを失った気がした。

 


いまだに機種変更が面倒でしかないから同じスマホである。

不便に思うのはカメラレンズが傷ついてるから画像がボヤけてしまうから残念でしかない。QRコード読み取りも一苦労である。

いろいろアプリが重くて強制終了したり、バッテリー消耗激しくて再起動する。けど、機種変更しようとまでは踏み切れない。

それはそれでこのスマホの持ち味かと思えば、いいところがある。と思ったが、どう考えてもただ面倒さが勝っているだけで、そのまま使っている。

一番困ることと言えば、職場用のスマホが逆にサクサクすぎてこんなに綺麗に動いてるのがおかしいのではないかと不安になってしまうくらいだ。