職場の飲み会は厭でただの食事会を好む。

飲み会という言葉がどうしても苦手で、お酒の場が嫌いすぎて断っていた。

「君がこれだけ飲み会が嫌いなのはよくわかった。だが、この社会の荒波に乗っていくことはできないぞ」と昔に有難い言葉をお偉いさんから頂いたことがある。

『荒波なんて毛頭乗りこなすつもりはなく、そんな波は下に下に潜ってしまえば、潮の流れも穏やかになるのだから、目立つことはない。私はこのまま潜っていたい』と思い、丁重にお断りした。

 

時は流れて今年。八月末、このご時世に飲み会というのは如何なものなのかと、言い換えるならば少人数の食事会である。

お気に入りの飲食店がなくなることだけは避けたいと思い、少しでもお店に貢献できればと思い、向かった。

自粛期間中などもあって職場では会うものの、つい数か月前まではよく食事に行くメンバーと合わせて新しいメンバーも含めて数名。

仕事に就いてから中途半端に長い歴を持ってしまっていて、参加メンバーの中ではやや上に位置してしまう微妙な立ち位置で困惑した。

こういった場での上の人間というのはあんまり、いや全くと言っていいほどいい印象がない。

とにかく人にされた嫌なことはしたくない。

飲み会で大声で笑いながら聞きたくもない自慢話して満足させたくなんて大嫌いだし、お酒で酔いつぶれたり、煙草の煙を顔面に思いっきり浴びたくもない。

人にされてイヤなことはしないなんて幼稚園でも学ぶことだ。大人になってそれができないとなるのは格好が悪い。

何も変わらないスタンスでいようと思い、食べ物の取り分けやドリンクの注文など何も変わらないことばかりしていた。

「いや、そんなの全然いいですよ!」みたいなの言われてしまい、お役御免。

面白い話などをするムードメーカー的存在ではないので、じっくり聞きながら相槌を打ったり軽いツッコミを入れたりする。世代的に違う内容とかは極力言わない。

飲み会もなんだかんだ仕事の延長線上にあるくらい気を遣わないといけないと思うとやっぱり苦手なのかなと引け目に思いながらも人の話で笑っている自分。

年齢的にも上になっていけばいくほど、下が出てくるわけで、上にいる人間になっていくことがあるのなら、しっかり構えておくのも大人の階段を上がっていくにあたっては大事かもしれない。

大事とは言ってもやっぱりNintendo64が通じなくなったり、ゲームキューブやDS世代だとか言われて時代を感じていく辺り、老いというより大人になっていくことに少し悲しみを背負いながら迎える9月。

世代差を思い出すだけで、まだまだ夜でも風吹く生ぬるい風が一瞬ひやっとした空気に変わった気がした。