メモを取る、モノに成る。

仕事が嫌になる時に何か別のことを考える。とにかく気を紛らわせたい。ただ、仕事が嫌になることばかりしかないから空想に思い浸る。

今したいことや、次の休み何をしようか、この仕事終わったら絶対に〇〇してやるからな・・・など頭の中はグルグル回る。

なお、仕事だけでなく、真剣な顔してマルチタスクできるように見せてることにも少しは努力してきた人間だから仕事の進捗状況は察してほしい。

普段から仕事に関してのコンパクトなメモ帳に書き残す癖があるから万年筆で書いたりする。

書き心地がいい、という意味をあまり知らなかったが本当に何か書きたくなるという気持ちにさせれくれるから万年筆はとんでもない代物である。

メモ帳の表側から捲る時には仕事の内容のメモ。

裏側からはあれこれ思い更けて、これは面白くなってきてウキウキしながらメモを残す。 

果たして、これは本当に面白いことなのだろうかと冷静になって思いをグッと喉の奥に飲み込んでゆっくり身体か心のどこかで消化してほしいが。

 

人によってメモのやり方はそれぞれである。

スマホのメモを使用することもあるが、一時的な感情に流されることで書き置いていることが多い。

なので、そのままほぼ一度に書き上げるか、もしくはある程度始まりとオチだけ決めておいて中はそれにうまく繋がるように書く。

どちらも読み返してみてみるとあまり面白くないことがわかった。

そうなると家までどうにか、その熱量を持ち帰りながらPCのメモ帳に殴り書く。

ボイスメモも検討した。生の声で感情などもわかりやすくとても書きやすいと思ったのだが、自分の声が嫌なので、聞き返すことになるのが苦痛になる。

それでもごくたまに配信をした時の録画を見て何のプレイングがいけなかったのか、と分析しないといけないから見なければいけない。

自己肯定感が低いせいなのか、何でもとにかく自分粗探しばかりする。仕事中に話した内容を仕事帰りに思い出してダメなところを挙げていって苦しくなる。

本当に自身を褒めない。粗を探す癖に大体を改善しないのは非常に体たらくな人間である。

 

自己肯定やネガティブなことに関してはさっさと殴り書きにしておいて、メモの話に戻す。

家に帰ってきて、疲れた体でPCを電源入れるまではいく。だが、そこからメモを書くということには進まない。

作業に感じてしまうからだ。

せっかくストレスを抱えながら通勤して職場でも迫りくるタスクを戦った満身創痍の体であるというのに、どうしてまた鞭を打って動かなければならないのか

さらには、どうしても家事全般があったりすると優先順位は低くなっていくことは目に見えてわかることだ。

 

仕事を終えてから自らクリエイティブな活動をできる人っていうのはとてもすごい人間だと感じさせられるし、憧れを持つ。

つい夏頃までゲームをしていた友人はパパとなり育児をしたり、別の人はVRDJでの活躍をしていて、自分は何を一体しているのだろうと思いながら9月を迎えた。

とりあえずやってみたいことを形にしたいと思い、参考書を買って勉強を進めてみた。

しかし、長時間の集中力が持たなかったり、そもそもYoutubeで参考書以上の内容を見てしまい、なんでわざわざ買ってしまったのかと少し後悔をした。

今年もあっという間に終わる。何か自分自身で爪痕を残さねばと考えれば考えるほど、焦りが募っていく気がした。

ただただ「行動を起こす」。ものすごく単純なことだろうけど、年を経ていく度に葛藤が増えていき、雁字搦めになっていく。

ふと私の好きなアニメの一つのキャッチコピーに「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」を思い出した。

随分前のアニメだったにも関わらず、この言葉だけはっきりと覚えている。

今も昔も『何者にもなれないお前たち』に属してしまっていて、それにどこかで半ば諦めて納得してしまっているからこそ、覚えてしまっているのかもしれない。

私はいつどこで何者になるのか、わかりもしない。だが、学生時代にうっすらと思っていたなりたくない者には着実と歩み寄っている・・・気がする。

どこかで生存戦略を見つけていくことを残り僅かな年内で見つけたいと思いながら、月末で急いでPCのメモ帳に殴り書きをしている。

明日には何者になりたい私が、参考書とYoutubeの講座の動画とにらめっこしながら悩み苦闘する姿を夢見て、今日は布団に潜る。

どうか明日から頑張って。