イヤホンと電車

朝の駅前、通勤時に気を紛らす為のポッドキャストを聴くためのイヤホンを忘れていることに気付く。

忘れた理由としては、最近自宅に帰宅してからもポッドキャストが終わるまで聴き続けるようになってしまい、作業机の上に置いてるという凡ミス。

電車は間もなく出発。自宅へと戻る時間もないため、朝のやや混んでいる電車に揺られる。
耳元で気さくに話してくれているパーソナリティが不在なことは思ったよりショックだったが、これはチャンスと思いスマホのメモ帳で淡々と文章を考える。

 

電車の中から見える外の風景を見ることが少なくなってしまった。
もちろんそれはポッドキャストを聴きながら思いふける時もあるのだが、別にも理由がある。
電車のドアが開くたびにただただ寒かった真冬日
帰りの電車がとある駅で停車した時に酔っ払いが外側から蹴ったり、激情に駆られる姿のを見た。
その姿を見た私は普段から余裕のある人になりたいと反面教師にしつつ、移動時間くらいは余計な情報を入れずに穏便に過ごしたい、と思ったのも一つの理由だ。

 

また、乗車客の様々な表情を見て人の物語や心境を考えたりしてたのに興味がなくなってしまった。
一つは電車内はマスクを着用して一定距離を保つこと。これはご時世的に致し方ない。
ただ口元も表現としては重要なパーツである。顔の半分以上が隠れているということはうまく感情を読み取れない。
読み取れないことに関して悪いことばかりではないのだけは知っておいてほしい。
もう一つは、皆が首を下に傾けてジッとスマホを眺めてるだけの景色だ。
その姿を見て私が心情やバックボーンを感じ取って、言葉として紡ぎあげていくということはとてもじゃないが、貧相な感性の前では限界がある。
そんな私もジッと書くことを考えながら思い付いた単語だけを羅列しているスマホのメモ帳を眺めてる。
全然噛み合う気配がない。
俯瞰的に私の行っているスマホ作業はこの電車の車両内では、一体何が楽しいのかわからないランキング付けされてしまうと、上位に位置することだろう。

 

失くなっていくことにあまり悲しみを感じるタイプではないのかもしれない。もともとからそうではない。
この1年ちょっとであれもできない。これもできない。どれもできなくてなくなく選択肢がなくなってしまったこと。
そう諦観してしまっているのである。
このイベントを生きがいにして仕事を頑張っていたはずなのに、行政の理由により行けない。友人と食事に行きたいが行けない。そもそも友人に会いたいけど会えない。
ないものだらけになった。このまま何もかも失くしていくのだろうか。
耐えた先に確かに希望はあるのだが、耐えた分だけ返ってくるものが十分にあるとうっすら分かっているのがこれまた辛い。

 

イヤホン忘れただけでこんな暗いこと考えなければよかったと思いながら、スマホから顔を上げると最寄り駅に到着していた。

外はやや蒸し暑い。マスクも相まってさらに顔元は暑く感じる。夏がもうすぐそこに迫っている。

何処も彼処も蝉がうるさく騒ぐことに嫌気が差して両手で耳を塞いだ。