自分説明書
3月の中旬くらいから訳あってゲームをすると3Dで非常に酔うようになった。
詳細は省くが、あまりにもできなくなったのでやっていた3Dゲームをアンインストールした。
やりたいことが思いついたりしたのでので、気ままに今月から再開した。
非常に酔っていたりしたが、とにかくゲームに対する集中力が相変わらずだったので多少マシになった。
約3か月間はいろいろやろうと画策していろいろ試してみたりもしていた。いたというよりは現在進行でしている。
様々な文献、知識を得たり、共有してみたりと案外学びが楽しい。
その中でいろいろ試して分かったことは物事に関係なく、自分の集中力が入る時のスイッチがきっちりオンになるとずっと集中できることだった。
ゲームが好きで長時間ぶっ通しでゲームをプレイしてることはよくある。
ただそれだけしている時だけだと思っていたのだが、案外そうでもないということにただただ驚いている。
過去にもそういったことがなかったかと、思い返した時には夜中に検索したアニメタイトルが気になった。
たまたまサブスクしていた動画配信サイトにあったから視聴へ。
そのまま画面にかじりつきながら、朝を迎えてもずっと見ていたりしていたことを思い出した。
あの時はただ阿呆なことをしたのだと思っていた。ただただ阿呆なのは間違いのないことなのだけど、集中力という面では光るものが何かあるのかもしれない。
人によっては「社会人になって今更気づいたところで」となる。
個人的にこういう気付きは、自分のことをさらに知れたという充実感を強く感じた。
あんまり自分に向き合っていないせいもあるかもしれないが、自分の中の自分探しなんてこの先もいくらでもしないといけない。
今回得た集中力をうまくその場その場に合わせてコントロールする術まで習得するのが大変な道なのだろう。
こう思うとなんだか自分の説明書みたいなのがパッと見れたらいいのになと思ってしまった。
けど結局見た時には多少納得するも「いやこれはないな」といろいろな部分を否定して説明書を投げ捨てるであろう自分の姿を想像してしまった。
結局のところ自分が一番理解してないが、自分の中で上手く折り合いをつけて整合性をとるようにしているのかもしれない。
まだ社会人としては浅いほうかもしれないのに、随分と嫌な大人になった。
多分あと20年もしたらどの説明書も読まずに何かといちゃもんを付けるような大人になっていくのかもしれない。
人に迷惑をかけるタイプの人間はさらに嫌だ。
やっぱり自分の説明書読んで理解深めたいかも。