Twitterを10年も続けてしまっている話。
つい先週、Twitterのアカウント(@mofuran)を開設してから10年が経ちました。
Twitterに登録した日を覚えていますか?#MyTwitterAnniversary pic.twitter.com/Y3NrhpJjRm
— rnofuran/もふらん (@mofuran) February 21, 2020
10年続けてるなんて思ってもみなかった。
多分ライフサイクルの1つに組み込まれてるような状態だけど、趣味とも考えると現時点での継続日数はダントツのトップになる。
10年も続けてしまっていたら、いろいろなものを垣間見た。
学生だった人が社会人になり、結婚して子供もできた人。
急に政治的発言ばかり取り上げるようになった人。
(多分生きてるだろうけど)いつの間にいなくなった人。
様々な理由で亡くなってしまった人。
TLを見ているけど、つぶやくことがなくなった人なんていっぱい増えた。
みんな、この10年という時間で抱えるものが増えてきて、要らないものは削ぎ落としていく。
ノリと勢いだけでひたすら実況する数年前のつぶやくことから考えて文字を作り始めたりしてる人もいる。やり方は人それぞれ。
10年やってて良かったこと。
・情報を早い段階で得ることができたこと。
時事情報、ゲームの情報を早く見れてる気がする。おかげで出勤前の朝のテレビ番組とか全く見なくなりました。
Twitterで数時間前に見た内容を公共の電波にのせるってどうなのって思いながら朝食食べるように。
随分な大人になったもんだ。(伏し目がちになりながら)
そもそもPC触り始めてからテレビを見ることが苦手になったけど、Twitterあれば大丈夫だな!みたいな身体になりました。
ちゃんと情報の取捨選択はできてます。多分。
・人のライフスタイルが切り抜かれた部分が垣間見えたこと。
普通に生きてたらこれだけ幅広い人との関わりや思いを見ることなんてないでしょう。
しかし、見たくなかったとも言えるかもしれない。
多分その人の本質や本当に伝えたいことの数割、いや3%くらいしか表現してない時もあるのかもしれない。
そういう考えもあるんだなって思うし、いろいろな生き方をしてるからこそ出てくる感情があるのかも。
ネットだけは着飾って生きていこうっていう人もいたりするから、『この人はこういう人』と断定するよりは『この人こういう人(なのかもしれない)』くらいのやんわりとした目線で見れるようになっていました。
でも、自分があまりメンタルや身体的にも調子が悪い時にはひたすらマイナス要素ばかりが目についたりしてしまうからそういう時はきっぱりとSNS断ちしないといけないとも思います。
全てが全てSNSにあるわけじゃないからこそ、足元見つめる機会も作らないといけないです。
10年やってて悪かったこと。
・暇さえあればタイムラインを覗いてしまうこと。
上記の良かったことと矛盾が生じていますが、とにかく見てしまう癖ができてしまってます。
あと、情報を得ることはできるけど、情報過多。いっぱい流れてくる。
特にUserStream(以下US)があった時までなんて見てるだけで楽しいコンテンツだった。
(UserStream:TLの情報をリアルタイムで取得するもの。とにかく更新ボタンを押さなくても人がつぶやいたら、それがどんどん流れてくる。)
体感はないとしても疲労度がすごい。全部を追ってるわけじゃなかったとしても確実に疲労の原因でした。
USが廃止されてからはわりと見る頻度減りました。今とか更新するの面倒になったりするし、公式アプリの仕様があんまりだったりしてることもあります。
ようやく正しい(?)SNSとの付き合い方がここ2年くらいで、できたと思っています。
まだ考えたらあるかもしれませんが、文字数の関係上省略という言い訳をさせてください。
10年続けてしまって今思うこと。
オチに『そもそもTwitter始めたのがいけない』って書こうと思いました。
ですが、いろいろな人に出会えていろいろな人生経験させてもらえてるので、良い寄りのやや悪い気がするような曖昧な感情になりました。
しかし、『10年やってて残ったものって何?』って言われたらとても非常にとてつもなく、返す言葉を考えます。
フォローもフォロワーも全然増やす気ないし、リプライのやり取りもしないコミュ障のままだし、etc...
ただ節度を持ってやればいいと思います。
そういえば、私は去年始めくらいからそもそもスマホの1ページ目のアプリのアイコン3個くらいしか置かなくなったら、スマホ見る時間が減って作業効率が上がった気がします。
・・・・・・そう思うとやっぱりTwitterは悪いやつかもしれないのでは?