目標を達成するということは何事も難しい
一応、週一度は更新をするという目標を持っています。
そのため、あれやこれやと書きたいかもしれないと思って単語だけで紙だったり、スマホに断片的にメモを取っておくことが多い。
時間ができたからメモ帳を見てここから話を広げていこうと思っても、(人それぞれかもしれないが)その時にメモに何か違和感を感じる。
書いた時ってはっとひらめいた、とかどこかから湧いてきた熱い感情(ほぼない)がアウトプットされるわけではないから文面のメモを見ても、その時とは温度差が違うからすごい書きづらい。
鉄は熱いうちに打て、というようにそのままのテンションで一気に書き上げるとかしないと新鮮さを失って、そのまま腐っていく。
材料や調理器具は揃ってるのに調理をしたくない非常に面倒くさい料理人である。
現にいろいろ伝えたいことはあるから、ストックらしきものはあるにはある。
『メモから発展させる→要所の骨組みを作る→骨から肉付け』という手順がうまくいかない。
起承転結には沿わず、欠陥だらけのため納得いかずに来週持ち越して再度見直し、検討。
その考え方をして『現状のタスクをそのまま抱えて、新しいことに入ろうとする』という流れが出来ているのは、もはや仕事じゃないかと一瞬想像してしまった。自己嫌悪。
単にマルチタスクにすれば解決する話なのかもしれないけど、自身が俗にいうアンタッチャブルなサイトとか好みではないわけです。
だから記事で誤った情報入れるのが嫌いな人間ではあるので、一定のラインまでは調べるとなると時間がかかる。そのため、並行して進めるの難しい。
もし、記事を書いていく中で何かお金が発生することになるなら、それはそれでやる気出して並行作業ができるかもしれないけど(絶対にない)
起承転結がうまくいかないという部分に関しては、『失敗していくから、ガンガン切り替えて当たりを見つけるために手探り状態になる』しかないとも考えている。
石橋を叩いて渡るというよりは叩いて壊すギリギリになって渡るような人間に近いからそれがスッとできるわけではないから慣れの問題もあるだろうし。
質よりも量。そもそも記事数少ないし。数撃ちゃ当たる。別に当たりたいわけじゃないし、当たって砕けたくもないけど。
たった三ヶ月くらいの少ししか記事あげてないのに小説家とかそういう物書きの人って改めてすごいなって思う。昔から尊敬してました、憧れてます。
Twitterでの140文字では伝えるにはまとめるのが面倒だと思ってブログを立ち上げたのに3ヶ月経過して、Twitterが長年続けてるのはわりと断片的でもいいという楽な部分があるからだろうなと思います。
こういうモヤモヤした葛藤を超えたら先には何かしらの成長が見えると思うから継続するしかない、と楽観的に思っておきます。
今週も(最低)目標どおり1度は更新した。その達成感をとりあえず噛み締めながら満足気に寝ます。