きっと何者にもなれない者は、何を見るのだろうか

今の仕事は満足しているかどうかといえば、もう少しだけお給料があったらいいなとは思う。

お金の話は汚いからあんまりしたくはないが、そんな気持ちは出てくるものだ。

けど、上司が昇給を認めてくれて、お給料が上がって生活水準が上がるとそれでは満足せずに「さらに給料があれば」と思ってしまう。

仕事の責任感を背負えばお金が増えるという仮説もある。多分まだその辺のお金の考え方は学生止まりの考え方だと思う。

でも確かに言えることは、「お金はあればあるだけで幸福になる。」ということだ。

しかし、最近聴くPodCastで一定の年収に達するとその幸福感が留まることになるというニュースを聞いた。

diamond.jp

(少し昔の記事です。)

お金があることは確かに幸福への近道だが、その近道を抜けた先が険しいものなのかもしれない。そんな先の道を見てみたいものだ。

 

 

仕事のことで、いろいろと揉めた。今の仕事ではこの先、君は無理だ。と言われた気がしてカッとなった。

そのまま自分は「そんな丁寧な遠回しで言ってくださるのなら、じゃあ辞めたほうがいいですか?」みたいなことを口にしてしまう。

大火の中に思いっきり油を注ぎ、さらに揉めに揉めた。

 

やりたいことだけやって、好きなように生きるのって難しいのだと思う。実際に3年ほど務めた職種でそれは学んだ。

かと言ってお金だけに目を向けてやりたくない仕事を能動的にこなす人間になると、結局こうなりたかったのが自分の追い求めていた理想の姿なのかと数年後も思って後悔しそうだ。

仕事と自身がそれはもうパズルのピースのごとくガッチリ合う人なんて2、3割もいないのではないのだろうか。

それでも自分はその2、3割の中に入るぞ、という気持ちを持ってはいる。でも内心はビビり、突き進んでいく覚悟がない。

失敗したらどうしようだとか、そのあとの粉々になり、塵となり消えていく寸前の自分を想像すると恐怖が湧いてくる。成功するビジョンが見えない。

成功を体験するというのは経験になり、それが自信へとつながる。しかし、その経験があまりにも浅い。

失敗談とかのほうが何倍、何十倍も記憶している悲しい人間である。

だから逃げ道を用意してしまい、結局この逃げ道があるから自分が何者でもない形に変容しているのだと思う。現在進行形で。

けど、それでも後悔するよりはいっそ突き進んで、塵になって消えるくらいの景色を見たほうが自分にもケジメがついて、気分は清々するのかもしれない。