聞きたい音は自身の精神と感情の削がれていく音

どうしても言いたいことが言えなかったり、物事をため込む、ストレスを抱える、そのまま抱えて・・・今に至るという現状です。

まあ、体を壊すなどして入院まではしたことはないのですが、体に支障が出るものはいくつかあります。

寝不足、肌荒れや手荒れなどが多くなったりはします。あとはわからない外的支障がどこかに出てるかもしれないですし、出るかもしれない。

さすがに何年も同じことがくると慣れてくるわけで、慣れというものは怖いものです。

慣れちゃいけないことまで慣れていっているような気すらしています。

仕事でイライラしたりするとそこから一気に急降下して感情が無になります。

この状態にいるのはダメだなと思いながら、目の前に起きていく物事に諦観していく。

ならどうして怒らないのか?それは単純明快。

怒っても無意味であり、私が怒ることには非常に体力を使用して非効率的だと感じるから。

熱意、パッションが足りないとかそういうのではなく、理論的に説明しても理解されないor理解しようとしないのならもう分かり合える感じがしない。

目の前で眺めていって仕事が崩壊していいのに、どうにか崩れ落ちないように仕事を抱える日々。

死んだ目をしながらあまりにも弱弱しくただただ茫然と立ち尽くしながらもどうにかしている様は人からは哀れに見えてくることでしょう。

9月頃からはあまりにもストレスが重なりすぎて日本語を聞くことすらイヤになっている状態もありました。

コミュニケーションエラーの連続。あまりにも連絡不足が滞りに滞ってしまい、未だ解決するか怪しいレベル。

私の好む対戦ゲームを遊ぶ時はランダムでマッチングした人と協力して勝っていかないといけません。

一期一会な状況なら仕方ないと思います。

ゲームなんかよりもずっと同じ会社の元で連携取ってる人間たちなのにも関わらず、うまくできない。何故なのか。

もしかして会社ってゲームなんかよりも運頼みしながら仕事しないといけないの?と考えてしまった瞬間に馬鹿らしい。

現在も改善されてはいないですが、現実逃避として英語のラジオを聴きながら単語アプリを駆使して訳して、とにかく知らないことを吸収しようともしています。

そんなこんなで10月末日。

ネットショッピングで購入したものを開封しないまま積み上げたりしていくという非常にお金の無駄になっているようなタワーを作り、暇な日には開封して崩すサイクルもどこか慣れから生じているものかもしれません。

そんなこんなでずっと楽しみにしていたマンガ「君は放課後インソムニア(7)」が発売して届いて急いで読む私。


毎巻青春を詰め込んだ甘酸っぱいマンガでエモーショナルな感情にさせてくれるとてもいいマンガ。

半年待った期待の新刊。・・・なのに何も響かなくなっていた。確かに彼らの青春がそこにはある。もう一度読む。おかしい、響かない。

あまりに社会の荒波で諦観しきった自分には喜怒哀楽のほとんどが薄れていることにここで気づいてしまった。

その事実に関して悲しくなったというよりはハッと気づいてしまって逆に笑ってしまった。感情がおかしくなっている。

来るとこまで来てしまったなと思ったらここ半年くらいは人生まともに楽しんでいないのだなって思って、そのままこの記事の下書き書いたり、作業してました。

多分年内も楽しいこととか思いつかないので目標作ったり、やりたいことやって楽しめていけたらいいですけど、楽しいってなんだろうという気持ち探しから始まるかもしれません。道は険しそう・・・

最近また東京汐留鉄道ライブカメラをBGMにしたりしてます。

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電車の音やたまに聞こえる車のエンジンや環境音が誰かは頑張ってるから頑張ろうと思って作業に集中できます。

リラックスしているというよりはやる気出ている辺りが思考もおかしくなっているかもしれません。

とりあえず、直近の目標は11月の健康診断のために健康的な体を作ってはいるので成果が出てくれてるといいなとは思います。では。

 

(※「君は放課後インソムニア」はいいマンガです。この記事書いてしまった人間がいろいろ残念になっているだけです。本当にいいマンガですので、気になるようなことが全く宣伝できてないけど読んでほしい。)