人が中指立てる言葉がなかったら、平和なんて言葉は生まれてもない。

社会人になっていろいろ学んで無理だなって思ったり、この作業は向いてないことがあったりする。

それは極力はやらないようにはしたいけど、いざしなきゃいけない時はしたいとは思わない。

そういった経験は糧になるのかどうかは考え次第だろうが、個人的にはただの心労が降り積もってくる感覚だ。

精神やられたり、酷いこと受けたこともない生活は心底羨ましいと思う。

理想の暮らしの一つだ。

何ら障害物はないことが当たり前で生きてこれたからそれがスタンダード。

だから何が善か悪なのかなんて分からないのだとは思う。

けど、軽々しくイヤなこと言って「あっちょっとまずかったかな?」すら思わない人だっている。

普段は全く空気やその場の状況が読めない。悪化してからようやく気付く。

その時だけ一丁前に空気読んでるが、悪気を理解なんてできているわけがない。

所詮、普段の日常会話で繰り広げられる中の会話一文にしか過ぎない。その間に入れれそうな適当な相槌レベルにしか思ってない。

我は関せず、我の心ここにあらず。

何も理解してない謝罪だけで自身の心の中で勝手に解決されてると思うくらいのめでたい頭になりたいかと問われたらどうだろうか。

自分自身は憧れるを抱かない。相手は理解なんてできてないのだからそうなっていることすらも理解できていない。

あくまでも謝罪すれば、その話は終わっているのだ。自己完結。

もうあと10分もしたら、このことなんて綺麗さっぱり忘れて、この後に飲むコーヒー何するか、LINEの返事どうしようかと別のどうでもいいようなことに頭のリソースが割かれていく。

言葉の刃物で傷つけられた人間は何日、何か月、何年もその鎖に縛られるのに絡まれるのすらも理解せずに。